物事をきちっと詰めているか詰めていないかというのが一番大事で、世界一になるか、ならないかは、そこで決まるんです
指導者とは教える人間ではありません。教えるのはある段階までのこと。指導者がもっとも心がけなければならないのは、生みだすことのできる人間に育ててやることです。教わったことが全部できたというだけでは大したことはありません。教わったものを土台にし、栄養にして自分自身の独特な何かを生みだすことができてはじめて一人前になるんです
でもいいから、新しい技をみんなで考えろ
私は意識して世界一という言葉を使った。男なら、期待が大きければ大きいほどやりがいを感じるものだからだ。
世界一になるために、最低でも5つの世界一を持たなければいけない
天才中田と人はいう。いや私もそう思う。その中田が、1万時間という気の遠くなるような時間の練習と試合をすでに体験した選手だということはあまり知られていない。
人は、いま、元気でも明日はどうなっているかわからない。それならば、決して悔いのない人生を過したい、自分の人生が満足だったと思えるものにしたい
常識の先には常識しかない
いま元気でもあしたはどうなっているか分からない。それなら自分の人生が満足だったと思えるものにしたい。
なにも世界一になろうと大げさなことをいっているのではない。1センチ伸ばすことに、ひたむきに努力することが必要なのだ。それを365日、目の前の小さなことを追いかけているうちに、ある日、とてつもない山に登りつめていたことに気がつくはずだ
世界を舞台に戦うには、国際感覚を身につけていなければ、相手に対して失礼だ
愛知さんが教えてくれたことに、立体史観というのがあります。どういうことかというと、視野の狭い人は点でしか判断できない、ちょっと視野を広くすると線になり課長クラスの仕事ができる、さらに広くすると面になり、大会社の部長クラスだ。
オリンピックの映画が完成したときいて、さっそく見に行った。3時間近い大作でした。今か今かと待ちました。ところが、男子のバレーボールについては1シーンどころか、1カットも無かったんです
ミュンヘンのオリンピックで優勝できたほんとうのエネルギーは何か、と問われたら『15人を一つの同じ思いにすることができたことだ』と断言できること。これを松平教とか松平イズムだと言うつもりはありませんが、少なくとも全員が、生涯に一度はやってやろうという共通の場がミュンヘンだった
同じ試合に勝つにしろ負けるにしろ、恥ずかしくない試合、自分の気持に照らして「オレはやったんだ」といえる試合だったかどうかなのだ
常識を何倍にしても、100倍にしても、その先には常識しかない。金メダルを狙うには、非常識を積み重ねていくしかないんだよ
バレーボール一筋に人生を終えられて非常に幸せでした。自分の人生でやりたいことは全部できましたし、思い残すことは何も無い人生でした
バレーしか知らないのではいけない
創造性のないチームが世界一にはなれない
金メダルが獲れないのは、金メダルに相応しくないからだ