西暦2000年代の偉人

【坂本 龍一】の名言集|名言まとめドットコム

僕の持論でもありますが、よいコンサートほど眠たくなりますよ、必ず。だから、寝られないようなコンサートはダメです。

全然やらなかったもんね勉強なんて。勉強なんて考えたこともなかった。

最終的に自分のエゴ(業)を乗り越えることが悟りであり、それは死をいかに乗り越えるかということでもある

曲を作ろうと意気込んだところで、だいたい良い曲は出てこないんです。寝ていて急に浮かんだりする。それをしっかりキャッチできるか。

ドビュッシーだって青写真的なものはあるけどかなりプライオリティは低い。むしろ聴く喜びの連続をただ求める「発想の瞬間」が続いていくだけ。ドビュッシーは作曲している途中どこに行くのか自分でわかっていなかったと思う。作曲する行為がある種、即興だった。

僕はリハーサルや予行演習が嫌いだし、人にも、しないことを進めています。

ここ数年、日本に帰りたいと思い始めました。ニューヨークは好きだけど、やっぱり人生の最期は生まれ育った国で迎えたい。アメリカの白っちゃけた土でなく、日本の真っ黒でふくよかな土に埋められて、ちゃんと微生物に分解されたいじゃないですか(笑)

僕は与えられたチャンスには挑んでいったけど、自分の背中を誰かに押してほしいと思ったことはまったくありませんでした。若いときには、たとえ一歳でも年上の人間は全部敵だと思っていて、その人たちの言うことは絶対聞くものかと思って生きてきたからです。それくらいの気概を持っていないと、本当に何もできないのです。

ぼくは現在友達と言える人はほとんどいないんですよ。あなたがたにこういう質問をされて、初めて考えましたが、多分友達が必要なのは、自分が確立していないからなんだと思います。まず、自分にやることがあれば、時間がもったいなくて、わざわざ友達に会う為に一時間もかけて学校になんか行きませんよね。

欧米のいわゆる純音楽以外のミュージシャンで譜面の読み書きができる人は殆どいません。そんなものなくても音楽はできるし、元々なかったものです。音楽自体は何万年もあるけれど、譜面なんてたかだか1000年ちょっとなんです。

その日の体調などで音が変わってくる 手が記憶しているみたいなところがあって 普通は弾きにくい自分の独特な手の動かし方で弾いている

スタジオにいると、クイーンのギタリストがひとりでギター抱えてやってきたり、エレベーターで隣になったおじさんがボブ・デュランだったり(笑)。もしあのまま日本にいたら、偉い人になっちゃって、自分が一番嫌いなタイプの人間になっちゃってたかもしれません。

いつも音楽やアートは100年とか150年単位で変化していくのですが、今確実に変わりつつあります。次にどういうものになるかはまだわからなくて、それが2050年頃じゃないかと勝手に思っています。

音楽に、完全なオリジナルティはこの世には存在しない。一曲の中で5%は個人の本当のオリジナル。95%は伝統。自分は5%のおもしろい部分に興味がある。

音楽の流通に垣根を立て、それを越えたければ、お金を払ってというのが従来のビジネスモデル。でも、ネットの特性は自由な流通。新しい聞き手とつながるためのもう一つのチャンネルと考えたい。

100年後にも人々に聴かれている音楽をつくること。自分を漱石と比較する気はないけれど、漱石が死んだ年をとっくに過ぎてしまったことに忸怩たる思いがある。

モノをつくっているひとは、つくればつくるほど近視眼的になってしまう。大局的に見るのが難しくなるのはたしかだと思います…僕も実際に遠ざかってみますよ…意識的にスピーカーから遠くに立って、音楽に集中しないで聴くように努力します。

自分の思い通りに生きたがどうかが大事。長さではない どう生きるかどう死ぬかっていうのは個人が責任を持って選んで下さい。

保育所以上の教育費も極力フリーにすれば、人口も増えるし、子どもをめぐる環境は良くなるし、仮に消費税が数パーセントアップすることになったとしても国民に支持されるんじゃないかな。

ぼくの現在の気持ちは、友達が大切、ということとは異なります。因みに現在のぼくの友達の定義は、ぼく(ぼくたち)に何らかの危険があった時に真っ先に電話をする人、です。そうなると、ただしゃべっていておもしろい人とかは、落ちます。もっと本当に頼れる人。そうするとほとんどいない。ぼくの場合、日本に何人か、アメリカに少し、ブラジルに少し、というように世界中でも何人か、でしょう。

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