引用元:看中國网
今回は有名な「王 陽明」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「王 陽明」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?
王 陽明とは
王 陽明(おう ようめい、成化8年9月30日(1472年10月31日) - 嘉靖7年11月29日(1529年1月9日)は、中国明代の儒学者・思想家・高級官僚・武将。思想家として当時の朱子学に対して批判的であり更に発展させた。聖人になるにあたり朱熹とは格物致知への解釈が異なり、書物(四書五経を代表とする)を通し物事を窮めることによって理を得ていくのではなく、理は元来より自分自身に備わっており物事の探究の結果得られるものではないとし、陽明学を起こした。一方で武将としても優れ、その功績は「三征」と呼ばれている。
参考:Wikipedia
王 陽明の名言集
知るは難(かた)く、行うは易し。
知は行ないの始め、行ないは知の成れるなり
他人を論難しようと思ったときには、それこそ一つの大きな私的感情だとみなして克服してこそはじめてよいのだ。
読書して聖賢を学ばんのみ
良知は人間だれにでもあるのであって、たとえきみたちがどうしようと、なくすことはできない。盗賊とて、盗みをしてはいけないとはわかっているから、賊徒といわれると、彼も大いに恥じ入るのだ。
山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し
ともかく理解するようにしなさい。どうして記憶する必要があろうか。理解しようとすることさえ、すでに第二義におちてしまっている。ともかく自己の本体を発現しようとすることだ。もし、むやみに記憶しようとすると、理解できないし、もしもむやみに理解しようとすると、自己の本体を発現することができないものだよ。
志が立たねば、天下に成るべきのことなし
天下のこと万変といえども、吾がこれに応ずるゆえんは、喜怒哀楽の四者を出でず。
人は必ず事上にあって磨錬すべし
この心、光明、また何をか言わん
人は皆聖人である。しかし、時間が経つにつれ私欲が生じ、物欲が生まれ、他人と自分とを一体のものだと考えられなくなる。だから本来持っている聖人の心に戻るために、私欲に打ち克たなければならない。
人生、命に達すれば自ら灑落
私は、いったいいつ、あなたに書類整理や訴訟処理をうちすてて、実務から離れて学問を究めなさいと教えたかね。あなたにはちゃんと役人としての仕事があるのだから、役人としての仕事を遂行するなかで学問をしなさい。それでこそ真の、主客関係を正しくするということです。たとえば、ある訴訟事件を訊問調査するという場合、被疑者の態度が横柄だからといって怒ったりしてはいけないし、彼らの陳情が如才ないからといって喜んでもいけないし、罪を軽くするようにと依頼されたことを嫌ってことさら厳しく処罰してもいけないし、その請願に屈服して要求のままにしてもいけない。
良知は千古聖々の相伝なり
人々がもしも着実に努力をしたならば、人々から誹謗されようと、欺瞞されようと、それぞれが益となり、それぞれが人格を高める機会になる。もしも努力をしないと、それこそが悪魔のはたらきとなり、結局はそれにすっかりふりまわされてしまうものなのである。
良知の内実は真誠側怛なり
一棒痛打しては一筋の痕がつき、一つびんたをくらわせては掌のあざがつく
心の外に道理はなく、心の外に物はない。全ては心の中にある。
わが心に自ら光明の月あり