西暦1900年代の偉人

【出光 佐三】の名言集|名言まとめドットコム

たんなる金儲けを目指すだけでは、真の事業とはいえない。そこには、真も善も美もない。事業も究極においては芸術である。事業には、常に普遍的な国利民福を念願した、また彼岸した真理性が望まれねばならない。出光の事業は、だれが見ても美しからねばならぬ。醜悪なる、たんなる金儲けであってはならぬ。

人間はお互いに助け合わなければならない。ところが人を助けるためにはまず自分の力を養成することが先決でしょう。しかしその利益を得るために人を害してはなんにもなりませんよ

僕の目は茶色のガラスを掛けて生まれてきたようなものだ。だから全ての色で白の色を見たことがない。慶応病院に入って手術してもらって初めて白を見たのだ。白は何てきれいな色かと僕は褒めたのだ。何ときれいな色かと思ったときに,人間の心は白いのがやはりいいのだと思った。

私の育った町は特殊な土地柄で、宗像神社という有名な神社があった。私はその御神徳を受けたと考えている。私はいま神社の復興をやっているが、神というものを今の人はバカにしている。私どもにはバカにできない事実がたくさんある。私の会社は災害を一度も被っていない。理屈は色々つくかもしれないが、社員は神の御加護と信じているのだからしょうがない。また信じないわけにはいかないだろう。

いま一人静かに考えると、体の弱かったということは不幸せであったが、その反面、非常に自分というものが変わったものにできたと思っている。

ぼくは会社で,人間らしい過ちはとがめるなと言ってるだろう。反省する心の積み重ねがあってはじめて,失敗は尊い経験となって生きてくる。したがって失敗はその人にとって尊い授業料となりうる。そこに進歩があるんだよ。

僕は努めて難関を歩け、ということを言ってきた。イージーゴーイングをやって、ここにきた人は、ここまでは難関を歩いてきた人と一緒であるが、この先にまだ難関がある。その時には、もう登れない。

人間というものはね、苦労して、鍛錬されて、はじめて人間になるんです。苦労しなきゃ、人間の呼吸はわからんということですよ

すなわち侍の魂を持って商売人の才を発揮せよということですが、明治時代はこの士魂商才が武士によって発揮されて、外国のいいところを採り入れて、立派な事業者がたくさん出たと思うのです。

何をやるにしても考えて考え抜く。それが私の一生である。

人が「馬鹿だ」と言ったって自分が馬鹿でなければいいということだ。反対に「あなたは偉い人ですね」とおだてられて,偉がっておる馬鹿がおるか。自分が顧みて人間として恥ずかしくない人であればいい。自分が自分を顧みて立派な人間になるということだ

人間がつくった社会である。人間が中心であって、人間を尊重し自己を尊重するのは当然過ぎるほど当然である。種々の方針や手段はこれから派生的に出てくるのである。

終始一貫して人間の尊重、人間本位のやりかたを貫いた。

逆境の時に立てた計画は堅実で間違いない

まとめる力は力の最も大きいものであるし、最も尊いものである。母親なくして女性なくしては子孫は絶える。これは人類をまとめる力である。このまとめる力こそ、派手ではないがもっとも力強い大きなものである。

数、理論の奴隷になるな。

金や権力、 組織の奴隷になるな。 学歴や学問、 主義の奴隷になるな。 自立して国家と国民、 人類の幸福のために尽くせ。

人間の目標は、ここにあるのではない。その先の先にある

権力の奴隷になるな。

人を頼み難きをいうは人その人を得ざりし所以(ゆえん)にして、人その人を得れば必ずや好結果を得る

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