西暦1900年代の偉人

【高橋 是清】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:東洋経済オンライン

今回は有名な「高橋 是清」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「高橋 是清」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

高橋 是清とは

高橋 是清(たかはし これきよ、1854年9月19日〈嘉永7年閏7月27日〉 - 1936年〈昭和11年〉2月26日)は、日本の武士(仙台藩士)、官僚、政治家。

立憲政友会第4代総裁。第20代内閣総理大臣(在任: 1921年〈大正10年〉11月13日 - 1922年〈大正11年〉6月12日)。栄典は正二位大勲位子爵。幼名は和喜次(わきじ)。近代日本を代表する財政家として知られ、総理大臣としてよりも大蔵大臣としての評価の方が高い。愛称は「ダルマさん」。二・二六事件において、赤坂の自宅二階で反乱軍の青年将校らに胸を6発銃撃され、暗殺された。

参考:Wikipedia

高橋 是清の名言集

他人から見てはうらやましがられるような境遇にいる時でも、自分に重きを置くことをしなかったため、特別によろこぶ気も起らない

貿易の発展は、日本経済の発展と同一線上にある。ために、一時的な入超を恐れるのは愚そのもので、いまこそヨーロッパ市場を開拓すべきである。貿易が伸びることは経済発展に資することであり、輸出入均衡政策では発展はありえない

緊縮といふ問題を論ずるに当つては、先づ国の経済と個人経済との区別を明かにせねばならぬ

不平を起こすぐらいならサラリーマンたる己れを廃業して独立するがよい。独立してやれば成敗いずれにせよ何事も自分の力量一杯であるから不平も起こらぬだろう。けれども、この独立ができないならば不平は言わないことだ

元来、米国人が金銭を尊ぶのは、わが輩の見るところによれば、金銭それ自体を尊ぶというのではなく、かの民族特有の、極めて強い、個人的独立心から来ているように思われる。彼らはいかなることがあっても、決して他の助力を仰がないという性格の国民である

経済的の施設は一朝一夕にその効果を望めるものではない。少くとも二年ぐらゐ経たなくては真の効果は挙げ得ないのである

経済発展には、これまでの武官重視から実業人重視に切り替えねばならない。それでなければとうてい、国力の充実、伸長はない

経済の問題は申す迄もなく非常に複雑したものであります。何か一つの極まつた問題に就て具体的に御話しやうと云ふのには事実に就て御話をせねばならぬのである

人間にも神の心はある。その心が人間の中に輝き出す時人はさながら神となり地上はこのままに一つの楽園となる。

どんな苦難に直面しても、常に人生を楽しめと説いたのである。おのれの運を信じ、楽観的に物事を見る。そこから拓ける道がある

生産に必要なものは何であるか、今日では先づ四つと云はれて居る。資本が必要である、労働が必要である、経済の能力が必要である、企業心の働きが必要である

国にとっても経済や金融にとっても欠くべからざるは信頼である。

尽人事而後楽天して後に天を楽しむ

資本も豊富でなければ、外国と比べて見て資本が少なければこれも対抗して行く訳にはいかない。労働もその通り労働者の能率が外国の労働者に劣つて居つた場合には、我が国の生産品が外国の生産品に負ける結果になるのである

私は繰り返して言う。人間出世の目標は、精神的であって、物質的でないと。

そんなことはありません。喜んで辰野さんの下で働きます

私が浅い学問浅い経験とを以てこの人類社会を考へるとこの人生には二つの道があるやうに思はれる。その一つは即ち人道教、いま一つを経済教と私は名付ける

その職務は運命によって 授かったものと観念し、精神を込め、誠心誠意をもってその職務に向かって 奮戦激闘しなければならぬ。いやいやながら従事するようでは到底成功するものではない。

「我」を去り私心をなくす、そうして自然の大道と己を一緒にしてみると、「生死」というものがなくなってくる

一家和合といふことは、一家族が互に信頼するといふことから起る。信頼があつてこそ、出来ることだ。また経済界においても工業、銀行、商業など各種当業者の間に相互の信頼があり、資本家と労働者の間にも、同様信頼があつてこそ、繁栄を見る事が出来るのである

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