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【野口英世】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:Japanese Medical Society of America

今回は有名な「野口英世」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「野口英世」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

野口英世とは

野口 英世(のぐち ひでよ、1876年(明治9年)11月9日[1] - 1928年(昭和3年)5月21日)は、日本の医師、細菌学者。栄典は、正五位・勲二等旭日重光章。学位は医学博士(京都大学)、理学博士(東京大学)。称号はブラウン大学名誉理学博士、イェール大学名誉理学博士、パリ大学名誉医学博士、サン・マルコス大学名誉教授・名誉医学博士、エクアドル共和国陸軍名誉軍医監・名誉大佐。キリスト者。

主に細菌学の研究に従事し、黄熱病や梅毒の研究で知られる。数々の論文を発表し、ノーベル生理学・医学賞の授賞候補に三度名前が挙がったが、黄熱病の研究中に自身も罹患し、1928年(昭和3年)5月21日、英領ゴールド・コースト(現在のガーナ共和国)のアクラで51歳で死去。

参考:Wikipedia

野口英世の名言

落ち込んだ時(悲しい時)に見る名言8選

絶望のどん底にいると想像し、泣き言をいって絶望しているのは、自分の成功を妨げ、そのうえ、心の平安を乱すばかりだ。

家が貧しくても、体が不自由でも、決して失望してはいけない。

過去を変えることはできないし、変えようとも思わない。なぜなら人生で変えることができるのは、自分と未来だけだからだ。

忍耐は苦い。しかし、その実は甘い。

変えられるものが二つある。それは自分と未来だ。

失敗したらまた、がんばればいいんだ。生きている限り何度でも。それが人間の特権だ。

ましてや過去なんて絶対に変えられないものだ。

どん底だからこそはい上がることができるんだ。

勇気が欲しい時に見る名言8選

私は少しも恐れるところがない。

志を得ざれば再び此の地を踏まず。

一番肝心なのはあきらめないということだ。

名誉のためなら危ない橋でも渡る。

モノマネから出発して、独創にまでのびていくのが、我々日本人のすぐれた性質であり、たくましい能力でもあるのです。

自分のやりたいことを一所懸命にやり、それで人を助けることができれば幸せだ。

私はこの世界に、何事かをなさんがために生まれてきたのだ。

ナポレオンは、夜3時間しか眠らなかった。彼になしえられる努力が、自分になしえられぬはずがない。

成長したい時に見る名言13選

努力だ、勉強だ、それが天才だ。誰よりも、3倍、4倍、5倍勉強する者、それが天才だ。

教えに来たのではありません。習いに来たのです。

周りの人間も、周りの状況も、自分から作り出した影と知るべきである。

人は能力だけではこの世に立つことはできない。

人は能力と共に徳義を持つことが必要である。

学問は一種のギャンブルである。

母親がこのような人でなかったなら「世界の細菌学者、野口英世」は、おそらく存在しなかったのではないでしょうか

自分の目から見たら、お母さんはこの世にまたとない貴い神様のような人ですから

人、寸陰を惜しまば、われ分陰を惜しまん。

国は自分一人の力じゃなかなか変えられない。

たとえ、立身しても、機械と同様だ。人は能力と共に徳を持つことが必要である。

正直は最良の豊作である。

成功の秘訣は目的・正直・忍耐である。

人生に不安のある時に見る名言9選

この世界には、人間の頭数と同様に、仕事は沢山あるはずである。

人の一生の幸も災いも、自分から作るもの。

人生の最大の幸福は一家の和楽である。

円満なる親子、兄弟、師弟、友人の愛情に生きるより切なるものはない。

人は、四十になるまでに、土台を作らねばならぬ。

どれだけ働いても愉快な心でいれば決して体を害することはない。

心に不快さえなければ仕事が大変であっても体を害することはない

正直であることが最高の手段だ。

障害者であることは、学問においては問題にならない。

まとめ

今回は「野口英世」の名言・名セリフ集をご紹介しました。

お気に入りの名言や心に響く名言は見る人によって変わります。

「野口英世」の名言には、今回ご紹介していないものの中にも、まだまだ名言と呼ばれるものが数多く存在するでしょう。

ぜひ自分のお気に入りの名言を見つけてみてください。

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