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【五島 慶太】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:青木村役場

今回は有名な「五島 慶太」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている有名人「五島 慶太」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

五島 慶太とは

1882年〈明治15年〉4月18日 - 1959年〈昭和34年〉8月14日)は、日本の官僚・実業家。東京急行電鉄の事実上の創業者。正三位勲一等。
長野県の農家に生まれ、東京帝国大学卒業後、官僚を9年務めた後に現在の東急東横線の前身である武蔵電気鉄道常務に就任。実質的な経営権を獲得し、池上電気鉄道(現・東急池上線)や玉川電気鉄道(現・東急玉川線)をはじめとする数々の競合企業をM&Aを用いて次々と買収し、「強盗慶太」の異名を取った。一方、実業家としては優れた経営を行い、小林一三と並び、「西の小林・東の五島」と称された他、「ピストル堤」と呼ばれた堤康次郎とは犬猿の仲だった。

参考:Wikipedia

五島 慶太の名言集

事業場から墓地に直行したくないとは考えているが、事業こそ私の生命であるとも思っている。

孤独な者は、最も強い。

一週間に一回、嘉納治五郎先生から倫理の講義を聞いたが、先生は柔道の格好で太い腕節を出して「なあに」という精神が一番必要だ、どんなことにぶつかっても「なあに、このくらいのこと」というように終始考えろということを言われた。

私はとにかく、「強盗慶太」の異名を頂戴するくらいであったから、事業のための私であり、事業あってこその生涯だった。

昭和初頭の財界不況に遭遇し、私はしばしば自殺を考えるに至るほどの苦しさを経験した。

三昧ということが必要である。女でも、碁、将棋、スポーツなんでもよい。三昧になる、すなわち「空」になるということが必要である。

若い女と馬鹿話をしていると、仕事の話や世間の苦労からまぬかれて頭の中が「空」になってくる。 そうすると夜熟睡できるので、また明日への活力が出てくるのである。

事業に対する野心がロマンスを征服してしまったというか、惚れたのはれたのということを考える余裕もなかったのである。

ときには、株買い占めという強硬手段をとらざるを得ないこともあったが、これは世間でいうように単に私の征服欲、事業欲のためのみでなく、東横電鉄の社員を愛し、その老後の生活まで考え、あわせて会社の総経費を分割して、経費を下げるということからやったことである。

私は沿線の人たちに「良品を廉価に」提供する目的で東横百貨店を渋谷に作った。

6か月間の獄中生活の苦悩は、おそらく経験者でなければその心境を推察することは不可能であろう。 私はこのときが人間として最低生活であった。

若いころから自分の心にかなった事業を興してこれを育て上げ、年老いてその成果を楽しむことのできる実業界に比較すれば、いかにもつまらないものだ。これが十年近い官吏生活を経験した私の結論であった。

金儲けは易しいが、経営とは違う。世のためになって利益を上げるのが経営。だから経営は難しい。

事業とは、最後は浮沈をかけた勝負である。

俺はその日のことはその日で忘れる主義だ。

人間は知と行だけではダメである。そこには必ず誰にも負けないという信念が必要だ。それには信仰で人間の意志というものを絶えず鍛錬していく必要がある。事業で成功するにしても、利殖するにしても、不可欠なものは信念である。

これからの事業格差というのは、資金とか収益だけでなく情報量のギャップが必ず大きな問題になってくる。明日の中小企業を考える上で、情報化は最優先のポイント。

企業は愛されるだけでは駄目だ。尊敬される怖さを持て。

自分より偉い人はみんな利用しなければだめだ。自分より偉い人を思うままに働かせることが事業成功の秘訣だ。

勝っても「なあにッ」、負けても「なあにっ」、どっちへ転んでも「なあにッ」、どんなことにぶつかっても、これさえ忘れなければ、必ずやっていける。

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