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【吉川 ひなの 】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:吉川ひなのオフィシャルブログ

今回は有名な「吉川 ひなの」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている有名人「吉川 ひなの」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

吉川 ひなのとは

吉川 ひなの(よしかわ ひなの) 出身地 日本東京都東久留米市 生年月日 1979年12月21日
日本のファッションモデル、タレント、および女優。
元レプロエンタテインメント所属、現在はフリー。2019年現在はロサンゼルス在住。
1991年(平成3年)、東京・銀座にてウィンドウショッピング中にスカウトされて芸能界入り。百貨店、伊勢丹の広告に出演した。
女優としては1997年(平成9年)公開の映画、『瀬戸内ムーンライト・セレナーデ』がデビュー作となり、『日本アカデミー賞 新人賞』を受賞し、後には舞台女優としても演じている。
歌手としては1997年に藤井フミヤが楽曲プロデュースした『ハート型の涙』でデビュー、以降フミヤから4曲もの楽曲プロデュースを受ける。2001年(平成13年)には、櫻田宗久との音楽ユニット「☆Spica☆」を結成、音楽アルバムを発売した。
モデルとしては2004年(平成16年)、「パリ・コレクション」に出演した。
2020年12月31日を以ってレプロエンタテインメントを退社し独立したことを翌2021年1月2日に自身のインスタグラムで発表した。

参考:Wikipedia

吉川 ひなのの名言集

ハート型の涙がぽろり落ちてゆく。びっくりしちゃうくらい恋にはまってるの

ひな祭りにひなののお祭りをご報告できて嬉しいです。今日の気持ちはまっピーン

結婚というかわいい制度があるので使わない手はない

40歳になる自分は全く想像できてなかったけど、『40歳って、すっごくいいじゃん!』と前向きな気持ち。実は30歳になるときはすごくイヤだったの。

20代は人生で一番楽しい時期だと信じていた分、そうじゃなかったことに『こんなはずじゃなかった』って。それに子どものころから仕事をしてきて、大人になってしまうと自分の価値がなくなっち ゃうとさえ思っていたから。

夫をそばで見ていたことが一番大きなきっかけだったと思う。彼は自己肯定ができる人で、他人を信頼できる人

私は、子どものころに親から褒められて育つっていう経験がなかったから、彼に褒めてもらうことでそのやり直しをしていたのかもしれない

結婚して、ハワイに住んで、ハワイで娘を産んで。今までとは違う新しい世界に突入して、それまでのどうやって生きればいいか分からない状態からはやっと抜け出せた

人生には必ず何回かチャンスが巡ってくる。そのチャンスをチャンスと気付いて掴むことができるか、気付いたけどチャンスにできないか、そもそも気付けないかは自分次第だ

自分を大切にできると、モノも大切にできるようになったの。昔は新しいものばっかりに興味があったんだけど、今は持っているものをいかに大事にするかに興味がある。

私はすごく幸せ者だなって思うし、これからの10年は胸を張って、自信を持てる自分を築いていける気がしているの

複雑な家庭環境で育って、両親とは仕事を始めてからも色々なことがあって、それを解決していなかったので、いつも曖昧にごまかしていました

全てを聞いて頂けると思える自分になっていて、自然に書けました

7万字も書いている感覚もなくて、この本を書いている最中もすごく楽しかったです

他人と自分を比べたり、物質で満たそうと考えて居ました。でもある時から幸せは事柄ではなくあり方が大事だと気づいて。自分で自分を幸せにするマインド、心の持ち方などコツが分かると、比べることもしなくなる。

旦那に読んでもらいましたが、『これ大丈夫?』って言っていました

エコーは初めに撮ったぐらいで、見ていないんですよ。まだ性別も分からなくて、楽しみ

子供たちの関わりは普段から注意しています。一番のギフトは親、幼少の頃に関わった人たちのお陰で、気付かないうちに自己肯定感が育めていると思う。

これからの私の発信が表面的なものにならないように、このタイミングで自分の言葉で語ったこの本を通して、改めて本当の私を知ってもらう機会があったことを嬉しく思います

同じ未来を思い描く仲間たちとよりよい時代を築いて行けるように、社会問題や環境問題から目を逸らさず、子供たちの未来が希望で溢れるように世界中が幸せに包まれるように、そんな日を夢見て自分にできることをしていきたい。

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