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【内村光良】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:マセキ芸能社

今回は有名な「内村光良」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている有名人「内村光良」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

内村光良とは

本名 内村 光良(うちむら てるよし )出身地 日本 熊本県人吉市 生年月日 1964年7月22日
日本のお笑いタレント、俳優、司会者、映画監督、作家。
お笑いコンビ・ウッチャンナンチャンのネタ作り担当。南原清隆とともに「ウッチャンナンチャン」として活動しており、愛称は「ウッチャン」。マセキ芸能社所属。妻は徳永有美。

1985年、漫才の授業をきっかけに南原とコンビを結成。講師をしていた内海桂子・好江の勧めでマセキ芸能社に所属し、『お笑いスター誕生!!』に出演。「ショートコント」スタイルを確立するなど、コントを主体とした芸風で、とんねるず・ダウンタウン・B21スペシャルらと共に「お笑い第三世代」代表の一角としてバラエティ界をリードした。
色白で鼻が大きく、度々相方や他の芸人のネタにされる。肌は幼い頃から白く、小学校の頃の担任に「君は色が白いから歌舞伎役者になるといいよ」とアドバイスをもらったことがある。髪型は高校時代から変わっていない。
芸風としては、素のキャラクターよりも、あるキャラクターを演じきって笑いを取るタイプ(憑依芸人)で、素を前面に出す相方・南原とは対照的である。松本人志は内村を、「憑依芸人としてのキャラクターの引き出しが非常に多く、自分の場合は5、6パターンほどに集約されてしまうが、ウッチャンは全て確立出来ている」と評する。

参考:Wikipedia

内村光良の名言集

演者自身が楽しんでいなければ、見ているひとも楽しめない。

“諦めない心”が一番じゃないかな。無駄なことなんて何もないっていう。それが後に生かされていくと信じて歩き続けることが大切なんだと思っています。

『継続は力なり』っていうけど、
本当に僕はそうだなって思います。

いつも通過点だと思う事。

夢は決して1つじゃない

負けるということを知る。

失敗したぶんだけ成功を掴むことができたり、努力したぶんだけそれに見合う報償なり報酬がもらえるんじゃないかと僕は思っていて。

役者さんにしたって、40代、50代から花が開く人もいるわけじゃないですか。それは、諦めずに続けてきたからで、ずっとコツコツとバイトしながらでも続けてきたから。もちろん努力しながら続けていくってことが大事で、ただダラダラではダメだと思うんです。そうやって続けていけばいつか花開くんじゃないかな。

“1回ドン底に落ちたら後は上に上がるだけ” という台詞もあるけど、いくら叩きのめされても、夢を持ち続けてさえいればいつか叶うのではないかと。

ありきたりだけど、努力しながら続けること。辞めてしまったら、その時点で何もかも終わりですから。

辞めていったやつらのことも今まで見てきたからね。僕の事務所でも何組もいましたし。その度に頑張ってなって握手して。そういう気持ちもやっぱり思い出しました。そういうのも背負って書かなきゃって思いましたね。

コント番組の金メダルを目指して頑張りたい

2人のキャラクターがわかってきて、それに寄せて書いたらウケるようになっていった。やっぱり、その人に合うコントってあるんですよね

一日の中で何回も笑うような生活が好き

(夫婦円満の秘訣は)『ありがとう』です

何かに打ち込んでいる姿はかっこいいと思うんで、皆さんも好きなことを見つけて、日々の生活を輝かせてください!

夢を追う人と諦める人、二つの男の生き方を描いている作品なのですが、どちらも自分で下した決断だから、間違いではないんです。夢を追う人はそのまま成就させてほしいけど、諦めた人も別の道でまた違う夢が見つかる。僕はそう信じています

他ではやらないですよ、こんなに(笑)。しかも、私はスーツというハンデを背負ってますから(笑)

毎回、ケガはすごく気を付けてるよね。でも、この番組でやっちゃうんですよ。この番組はケアをしませんから!

青木さやかの回は覚えてる。布団から出てきて金八先生になったんだよね(笑)。でも、これが一昨年ってことは、DVD60巻は確実に行くんだね。すごいわ

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