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【麻生 太郎】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:麻生太郎オフィシャルサイト

今回は有名な「麻生 太郎」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている有名人「麻生 太郎」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

麻生 太郎とは

麻生 太郎(あそう たろう、1940年〈昭和15年〉9月20日 - )は、日本の政治家、実業家。自由民主党所属の衆議院議員(13期)、副総理、財務大臣(第17・18・19・20代)、内閣府特命担当大臣(金融担当)、デフレ脱却担当、志公会(麻生派)会長、自民党たばこ議員連盟顧問。
内閣総理大臣(第92代)、経済企画庁長官(第53代)、経済財政政策担当大臣(第2代)、情報通信技術(IT)担当大臣(第2次森改造内閣(再編後))、総務大臣(第3代・第4代・第5代)、外務大臣(第138代・第139代)、衆議院外務委員長、自由民主党政務調査会長(第44代)、自由民主党幹事長(第40代・第42代)、自由民主党総裁(第23代)を務めた。

福岡県飯塚市に麻生太賀吉、和子の長男として生まれる。麻生塾小学校を経て、小学3年生の頃上京し、学習院初等科に編入。
1979年10月、第35回衆議院議員総選挙に旧福岡2区(現:福岡8区)から出馬、4位(定員5名)で初当選し政界入りする。 (当選同期に亀井静香、保利耕輔、船田元、丹羽雄哉、岸田文武、吹田愰、小里貞利など)1982年、自民党青年局局長に就任。

参考:Wikipedia

麻生 太郎の名言集

『おたくとうちの国とは国民の民度のレベルが違うんだ』って言ってやると、みんな絶句して黙る

スペインかぜも、7月になったら、だいたい止まっている。だから、この種の話は6月にはなんとなく収まるのかなと思わないでもない

つまんないこと聞くね

アメリカですよ。その程度の国だということですよ

わたしは、決して逃げません

朝は希望を持って目覚め、昼は勤勉に働き夜は感謝をもって床に就く

年寄り代議士が何人か死ねばね

東京で美濃部革新都政が誕生したのは婦人が美濃部スマイルに投票したのであって、婦人に参政権を与えたのが最大の失敗だった

医者には社会的常識がかなり欠落している人が多い。 うちで何百人と扱っているからよくわかる。

さもしく1万2千円欲しい人

交際費は100%課税

虹なんて遠くから見たら、水滴にしか見えない。 遠くから見ているから虹に見えるんです。 だから自分の仕事も同じように、見る角度と距離で全然違って見えるはずです。

働き始めました。一月経った。出てこなくなった。 放っておくと、若者はまたフリーターになる。 そんなとき一本の電話が鳴るんです。 「明日、待ってるよ」 それでふっと背中が押されて、また復帰する。 こういうことも、やらねばならん。

なんとなくいい年した若い奴が、変な70やらオレたちみたいな顔して、 「日本の将来は暗い」みたいな顔をするなって! 明るい顔しろ明るい顔。 それじゃなきゃ話にならん。

婦人に参政権与えたのは失敗

It is not japanese machinery, no?

今の質問は、いい質問です。

ロシアでも頭のいいやつはあまり背が大きくないんだな。

友好のために国益を損なうのは愚かです。国益のために友好が成り立つのだと思っています。

15年前、武村正義という人がいて、いや、まだ死んでおられません、まだ生きておりますが……

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