西暦1700年代の偉人

【徳川 光圀】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:世界の歴史まっぷ

今回は有名な「徳川 光圀」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「徳川 光圀」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

徳川 光圀とは

徳川 光圀(とくがわ みつくに)は、常陸水戸藩の第2代藩主。「水戸黄門」としても知られる。諡号は「義公」、字は「子龍」、号は「梅里」。また神号は「高譲味道根之命」(たかゆずるうましみちねのみこと)。水戸藩初代藩主・徳川頼房の三男。徳川家康の孫に当たる。儒学を奨励し、彰考館を設けて『大日本史』を編纂し、水戸学の基礎をつくった。

参考:Wikipedia

徳川 光圀の名言集

誕生日は、最も粗末な食事でいい。この日そ、母を最も苦しめた日のだから。

(松前藩から献上され江戸屋敷で飼育したのち、西山荘に放したタンチョウヅルを殺した長作を斬り捨てようとしたが)この者を殺しても鶴は生き返らぬ。禽獣のために人を殺すわけにはいかない。許してやれ

苦は 楽の種、楽は苦の種と知るべし

欲と色と酒と知るべし。

人の上に立ち、力を握った者は、ともすればその力がなんであるかを忘れ、その力のみに執着する。それが間違いの元じゃ。力は国のため、民のために使うもの。己のためだけに使うものではない

主人と親は無(をいうなるものと思え下人(頭の働きの足らぬもの知るべし

生くべきときに生き、死すべきときに死す。死をもって証明するしか方法がないときにはじめ切腹するわけであって、苦しきを逃れるたの殺は卑怯なだけである。

結局は、殿の御恩に感じた者が、刀や脇差のように身の護りとなり、怨みを含んだ者が、鞘走って怪我のもとを作ることとなる。
ひたすら、御恩に感じ、怨みを含ませないように、常々心づけて士卒を召使われることが大切である。

掟に怯じよ(法令を恐よ)火におじよ、分別がなきものにおじよ、恩をわする事なかれ

お化粧だけでは綺麗になりません。心の持ち方ひとつです。まず困っている人がいたら助けてあげなさい。ただ、そのお返しを求めてはいけません。それといつも笑顔を忘れない。他人を悪く思わない。そうすればきっと綺麗になりますよ

人の身に近い宝としては、刀や脇差にまさるものがないが、その鞘が走って、手足を切るようなこともある。士卒も、これと同様に、身の護りとなる宝ではあるが、鞘が走って怪我をすることがないように、人をよく見立てて召使うことが肝要である。

苦は楽の種、楽は苦のと知るべし。

朝寝をすべからずの長座すべからず

時に己の心に正義の秤をもって上役の命を計り直す そんな勇気を持ち合わせたいものじゃのう

どれほど質のよい甲冑を身につけ、どれほど堅固な城郭にたてこもっても、士卒の心が離ればなれになってしまったのでは、役に立たない。士卒がお互いに心を合わせさえすれば、どれだけ堅固な城郭にも、札のよい甲冑にも優る。

大将の宝とすべきものは、堅固な城郭と、札のよい甲冑、この二つよりほかにはない。けれども、常々召使っている侍たちは、すなわち、その城郭や甲冑にほかならないのである。

九分に足らば、十分にこぼると知るべし。

子ほど親を思え、子なきものは身にたくらべてちき手本と知るべし

それでは助さん、格さん、参りましょうか

(当時の風習であった家臣の殉死を禁じ、光圀は自ら殉死の噂された家臣宅を廻り問いかけた)殉死は頼房公には忠義だが私には不忠義ではないか

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