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【林 芙美子】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:NHK人物録

今回は有名な「林 芙美子」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「林 芙美子」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

林 芙美子とは

林 芙美子(はやし ふみこ、1903年〈明治36年〉12月31日 - 1951年〈昭和26年〉6月28日)は、日本の小説家。本名フミコ。山口県生まれ。尾道市立高等女学校卒。複雑な生い立ち、様々な職業を経験した後、『放浪記』がベストセラーとなり、詩集『蒼馬を見たり』や、『風琴と魚の町』『清貧の書』などの自伝的作品で文名を高めた。その後、『牡蠣』などの客観小説に転じ、戦中は大陸や南方に従軍して短編を書き継いだ。戦後、新聞小説で成功を収め、短編『晩菊』や長編『浮雲』『めし』(絶筆)などを旺盛に発表。貧しい現実を描写しながらも、夢や明るさを失わない独特の作風で人気を得たが、心臓麻痺により急逝。

その生涯は、「文壇に登場したころは『貧乏を売り物にする素人小説家』、その次は『たった半年間のパリ滞在を売り物にする成り上がり小説家』、そして、日中戦争から太平洋戦争にかけては『軍国主義を太鼓と笛で囃し立てた政府お抱え小説家』など、いつも批判の的になってきました。しかし、戦後の六年間はちがいました。それは、戦さに打ちのめされた、わたしたち普通の日本人の悲しみを、ただひたすらに書きつづけた六年間でした」と言われるように波瀾万丈だった。

参考:Wikipedia

林 芙美子の名言集

風も吹くなり 雲も光るなり
生きてゐる幸福は 波間の鴎のごとく漂渺とたゞよひ
生きてゐる幸福は あなたも知ってゐる 私もよく知ってゐる
花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かれど
風も吹くなり 雲も光るなり。

健康な人間などというものは、恐らく一人もいないにきまっている。何等かの意味で、自分の人生に絶望を持たないで生きて来た人間は、一人もないにきまっている

どんな男の人と一緒になってみても同じ事だろうと私が言うと、「そんな筈ないわ、石鹸だって、 十銭と五十銭のじゃずいぶん品が違ってよ」

私は宿命的に放浪者である

みづのいろはかぜの匂ひがしてゐるいちにち谷川のみづのおとをきいてあとからあとから流れてくるあたらしいみづのいろにわたしはほのかなくるしみをかんじてゐるわたしは疲れていきをすることもできないテニスをしたあとのやうに咳をするとからだぢゆうがいたい夜あけのみづのいろはちゝのやうなもやがたちこめてゐる

私は、このごろ、小説を書く以外に何の興味もない。私に生きよという事は小説を書くという事とだ。

泣くだけ泣かなきゃいい人間になれませんよ。

「女の部屋」と云ふ作品は、はじめ「女の愛情」と云ふ表題で發表をした。川端康成氏が面白かつたと云つて手紙を下すつたのを覚えてゐる。此の作品は非常に愉しく書いた。世の中では、しとやかで品のいい女だと云はれてゐる女が案外じだらくな貞操觀のない女であつたり、また、世間いつぱんが、あの女は不良だよと云つてゐる女に、まるで金剛石のような美しい立派な魂があつたりするものである。私はさう云つた女のせかいを書いてみたかつたのだ。

6ミリくらいの輪切りにしたもぎたてトマトをバターかラードを溶かしたフライパンで焼き、煮えたところで牛肉を乗せ、火が通ったら醤油と甘味料を入れる

両手に盛られた私の顔は、緑色の白粉につかれ、十二時の針を引っ張っていた

木屑の浮いた日本の優しい壁の色こそなつかしくなってきます。

60、70になってほんとうのものが書けるようなきがする

私は、若い人達の青春溢れるやうな時代を欲します。年をとつたひとがどんなに眉をひそめやうとも、もう一度「詩」の世界が爽々と流れて来ることを望んでゐます

日本人はおおゆすぎにゆすがれるのはいいことだ

ずいぶん絵が好きです。絵描きになりたいと長い間考えてまいりました。

初夏には格べつおいしいものです

梅は匂いよ。木立は要らぬ。人は心よ。姿は要らぬ。

降る雪の白髪までも降る雪の光をみればたふとくもあるか

このごろ、私は自分の小説に馬乗りになっている自分を感じる。まだ私という作家は吐き出せると思っている

海が見えた。海が見える。尾道の海は懐かしい

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