西暦1900年代の偉人

【池田 大作】の名言集|名言まとめドットコム

芸術と人格は、深く相通じている。偉大な芸術には、偉大な人格の輝きがある。また、偉大な人生は、それ自体が、偉大な芸術である。

権力が暴走し、猛威を振るうときには、必ず思想や信教への介入が始まる。

いっさいの思想は地球上の生命を守り抜くためにこそあるべきだ。それを脅かす思想は、断じて受け入れるべきではない。

政治や経済だけの関係では、どうしても力の論理、利害の論理に流されてしまう。文化の交流、教育の交流こそ、人間と人間、民衆と民衆を揺るぎなく結びつけていく普遍的、永続的な力となる。

愚痴よりも行動、諦めよりも挑戦、臆病よりも勇気、その振る舞いに仏法がある。

写真は”世界語”である。言葉は理解できなくとも、写真を見れば、すべてがわかる。心を分かち合うこともできる。

人の大事な命を預かって、いいかげんな指導をするのはおそろしいことである。

自分だけの幸福もなければ、他人だけの不幸もない。人を幸せにした分、自分も幸福になる。

国のために人間がいるのではない。人間のために、人間が国をつくったのだ。

歌には、人を前向きにする力がある。歓びの歌、旅立ちの歌、革命の歌、愛の歌―――。一曲の歌がもつ力の大きさは、時として計り知れない。

誓いとは、人間だけができる。いわば人間の人間としての証だからだ。

宇宙は、人間の心を高らかに啓発する。そして宇宙は、私たちを詩人にし、哲学者にしてくれる。

頭だけで考えても、多くは観念論となり、大衆の心とは一致しないものだ。

”偉大な人”とは、平凡であることの偉大さを知った人のことである。

会合でうまく話せたからといって、自分のことを大したものだと思ったら、大間違いです。青年を育てる人が偉いのです。

仏教徒である前に、人間である。イスラム教徒である前に、人間である。キリスト教徒である前に、人間である。

お世辞をつかう者に乗せられたり、意見をいう者を嫌ったりしたのでは、人材は発見できない。

立派そうに見せるために苦労することは、その人の力のないことを人にすすんで示すようなものである。

苦しんでいる人々を、どう救うか―――ここにこそ、人類をリードする一切の哲学や指導者論のエッセンスが凝縮している。

「自分が広宣流布をするのだ」という強い一念を持つことだ。役職とか立場ではない。

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