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【真田幸村】の名言集|名言まとめドットコム

今回は有名な「真田幸村」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「真田幸村」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

真田幸村とは

真田 信繁(さなだ のぶしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。
生誕:永禄10年(1567年)または元亀元年(1570年)または元亀元年2月2日(1570年3月8日)ー死没:慶長20年5月7日(1615年6月3日)

真田昌幸の次男。通称は左衛門佐で、輩行名は源二郎(源次郎)。真田 幸村(さなだ ゆきむら)の名で広く知られている。

豊臣方の武将として大坂夏の陣において徳川家康の本陣まで攻め込んだ勇敢な活躍が、江戸幕府や諸大名家の各史料に記録され、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と評されるなどした。後世、そこから軍記物、講談、草双紙(絵本)などが創作され、さらに明治-大正期に立川文庫の講談文庫本が幅広く読まれると、真田十勇士を従えて宿敵である家康に果敢に挑む英雄的武将というイメージで、庶民にも広く知られる存在となった。今でも多くの人に愛され続けている。

参考:Wikipedia

真田幸村の名言集

部下ほど難しい存在はない

去年より俄にとしより、殊のほか病者に成り申し候、歯なども抜け申し候、髭などもくろきはあまりこれなく候

関東勢は百万も候へ、男は一人もなく候

なおさら大草臥者になりました

いざとなれば損得を度外視できる、その性根。世の中にそれを持つ人間ほど怖い相手はない

恩義を忘れ、私欲を貪り、人と呼べるか

夢をつかんだ奴より、夢を追ってる奴の方が、時に力を発揮するもんでさ

定めなき浮世にて候へば、一日先は知らざる事に候。 我々事などは浮世にあるものとは、おぼしめし候まじく候。

人の死すべき時至らば 潔く身を失いてこそ勇士の本意なるべし

このような不安定な世情ですから、明日のこともどうなるかはわかりません。 私たちのことなどはこの世にいないものと考えてください。

十万石では不忠者にならぬが一国では不忠者になるとお思いか

日本の半分をもらっても寝返るつもりはない

攻撃こそ最大の防御

真田は日本一の兵、古よりの物語にもこれなき由

いったん約束を結んだことの責任は重いと存じます。日本国中の半分を賜るとしても、気持ちを変えることはできません

この幸村、ただ、命を長らえているだけの処を召し出され、武士としての面目を立てて頂いた身、このご恩、土地や金子などに、到底、変えられない

われら親子のことを案じていただきありがとうございます。我らは大坂城に籠城の上は必死に戦いますので、この世でお会いすることはもうないと思います。ただ、何事もスエのことだけは、いろいろご迷惑をかけますでしょうが、なにとぞお見捨てにならないようにお願いいたします

主君のために死ぬのは武士の習い。

大介はこれまで15年間浪人として過ごし、たいしていいこともありませんでした。それなのに戦場の露として消えるのはなんとも不憫です

今はこれで戦は終わり也。あとは快く戦うべし。狙うは徳川家康の首ただひとつのみ

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