偉人 高杉晋作

【高杉晋作】の名言集|名言まとめドットコム

今回は有名な「高杉晋作」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「高杉晋作」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

高杉晋作とは

高杉 晋作(たかすぎ しんさく、天保10年8月20日(1839年9月27日)- 慶應3年4月14日(1867年5月17日))は、江戸時代末期の長州藩士。幕末に長州藩の尊王攘夷の志士として活躍した。
長門国萩城下菊屋横丁(現・山口県萩市)に長州藩士・高杉小忠太(大組・200石)とミチ(道子・大西将曹の娘)の長男として生まれる。
下関市桜山で肺結核の療養中の慶応3年4月14日(1867年5月17日)に死去。享年29(満27歳8ヶ月)。

高杉氏は戦国時代以来、代々毛利氏に仕え藩政に関わる要職を歴任した家である。
幕末に長州藩の尊王攘夷の志士として活躍した。奇兵隊など諸隊を創設し、長州藩を倒幕に方向付けた。

参考:Wikipedia

高杉晋作の名言集

「朝に人としての道を悟ることができれば、その晩に死んでも悔いはない」という事こそが人の道である。人としての努力をすることもなく、ただ死に向かうのは人の道ではない。

国のために家が潰れても、家などは軽いものである。世間が僕を狂っているといっても構わない。

おもしろきこともなき世をおもしろく

苦労する身は厭わねど、苦労し甲斐のあるように。

人間というのは困難は共にできる。しかし富貴は共にできない。

苦しいという言葉だけはどんなことがあっても言わないでおこうじゃないか。

真の楽しみは苦しみの中にこそある。

過ちを改めれば、それは過ちではないのだ。

シャクトリムシのように身を屈するのも、いずれは龍のように伸びるためだ。そのためには、奴隷になっても、下僕になっても構わない。

これよりは長州男児の腕前お目に懸け申すべく

死だなら釈迦と孔子に追いついて道の奥義を尋ねんとこそ思へ

心すでに感ずれば、すなわち、口に発して声となる。

少年の頃、読んだ本に「学問を成すなら世間から利口と思われる人になるな。世間から愚者と思われる人になれ。」とあったので世間から愚者と思われる人になろうと僕は願った。

戦いは一日早ければ一日の利益がある。まず飛びだすことだ。思案はそれからでいい

古くから天下のことを行う者は、大義を本分とし、決して他人に左右されることなく、断固として志を貫く。禍福や死生によって気持ちが揺れ動いたりするものではない。

人間、窮地におちいるのはよい。意外な方角に活路が見出せるからだ。しかし、死地におちいれば、それでおしまいだ。だから、おれは困ったの一言は吐かない。

先が短いなら短いなりに僕は面白う生きたい。派手な打ち上げ花火を打ち上げて、消えていく…それが高杉晋作の生き方ですき。

今さらになにをかいわむ遅桜故郷の風に散るぞうれしき先生を慕うてようやく野山獄

いまの場合、一里行けば一里の忠を尽くし、二里行けば二里の義をあらわす。尊王の臣子たるもの一日として安閑としている場合ではない。

天賦のかんによって、その場その場で絵をかいてゆけばよい。

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