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【八千草 薫】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:NHK人物録

今回は有名な「八千草 薫」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「八千草 薫」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

八千草 薫とは

八千草 薫(やちぐさ かおる、1931年1月6日 - 2019年10月24日)は、日本の女優。
大阪府出身。宝塚音楽学校卒業。所属事務所は柊企画。愛称は「ヒトミ(ちゃん)」(本名に由来)。公称身長154㎝。

宝塚在団中から東宝映画などの外部出演をこなしており、当時の『お嫁さんにした有名人』の統計で、たびたび首位に輝いた。
1957年5月31日付で歌劇団を退団。最終出演公演の演目は花組『みにくい家鴨の子/王春讃歌』。
退団後はテレビドラマでのおっとりとした良妻賢母役が好評を得る。
一方、『岸辺のアルバム』での家族に隠れて不倫する主婦役で従来のイメージを覆し、テレビドラマ史に残る名作と評された。
私生活では1957年に映画監督の谷口千吉と結婚した。人気・好感度絶頂の八千草と、親子ほどの年の差があり、しかも3度目の結婚となった谷口の組み合わせは当時、多方面で話題・波紋を呼んだ(夫婦に子はなかったが、おしどり夫婦として知られ、結婚50年目となった2007年に死別するまで連れ添った)。
2014年、古巣・宝塚歌劇団創立100周年を記念して設立された「宝塚歌劇の殿堂」最初の100人として殿堂入り。

参考:Wekipedia

八千草 薫の名言集

ちょっとだけ無理をして生きたい。

少しずつ変化していきたい。

(膵臓ガンになったことについて)もっと若かったら、ショックも大きかったと思うんですけれど、病気は病気で、まぁしょうがない。

(名誉都民に選ばれて)とても私には立派過ぎる気が致しました。

くよくよ悩んだからといって病気は治りません。

今を大事に。

与えられたものを楽しくやって行こう

(膵臓ガンになり)『まぁ、いいか』『まぁ、しょうがないな』と受け入れてやっていくより他ない。

セリフを覚えるのも、公園で周りに人がいないなと思うと、けっこう大きな声を出している。

家族っていうのが、一番人間にとってホッとするところ。

病気をしたことで、自分の『死』が近づいたことを感じました。

(宝塚に入った当初)何か間違っちゃったなと思った。

今が気持ち良く過ごせれば、それで一歩ずつ歩いて行けばいいかな。

犬と猫だけど仲よく、私のことを玄関で待ってくれています。それだけで、とても幸せ。

楽しくやればいいことになる。

色んな作品に恵まれた。

過去の事も将来の事もあんまり考えない。

ごまかしてそのまま先に進んでも、何か居心地が悪い。

(ガンと診断された時)『あ、とうとう来たんだ』という感覚でした。

この先そんなに長く生きる年齢ではない。寿命がすぐそこに見えているという事実が、私を冷静にさせました。

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