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【野村 克也】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:Toyo Keizai

今回は有名な「野村 克也」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「野村 克也」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

野村 克也とは

野村 克也(のむら かつや、1935年〈昭和10年〉6月29日 ‐ 2020年〈令和2年〉2月11日)は、京都府竹野郡網野町(現・京丹後市)出身[3]のプロ野球選手(捕手)・コーチ・監督、野球解説者・野球評論家。夫人は野村沙知代。愛称は「ノム」(ノムやん・ノムさん)「ムース」。血液型はB型。

選手としては、史上2人目・パ・リーグ初の三冠王達成(世界のプロ野球史上初の捕手による三冠王)、選手出場試合数歴代2位、監督出場試合数歴代3位、通算本塁打数歴代2位(捕手としては最多)、通算安打数歴代2位、通算打点数歴代2位、通算塁打数歴代2位、通算打席数1位(11970打席)、通算打数1位(10472打数)、通算犠飛数歴代1位(113犠飛)、通算併殺打1位(378打)、最多記録となるベストナインを19回受賞、パリーグ最多記録となる本塁打王を9回獲得、打点王を7回獲得、パリーグ最多記録となる最優秀選手を5回受賞などの記録を持つ。また、監督としても1565勝を記録。

参考:Wikipedia

野村 克也の名言集

何よりも自分は働く人間

(夫人の)料理は天下一品やもんね。スタミナつけてバリバリ打つように操縦されてるようなもんや

プロ野球とアマチュア野球では、給料のベースが全く違う。プロ野球では個人記録がベースになっているが、アマチュアでは本塁打を何本打とうが、何勝しようが給料はみんな同じだから、みんなの心が『チームの優勝のために頑張ろう』という方向にまとまりやすい。このことはいい勉強になった

(試合中にもかかわらず)『優勝していいのかな?』などとバカなことを考えてしまったせいで、志太会長には悪いことをしてしまった。この経験は、『監督の迷いはチームに大きな影響を及ぼす。それだけに、(監督が野球のセオリーに沿った)正しい考えを持たないと、とんでもないことになる』という大きな教訓として、その後(楽天での監督生活)に生かされた

このおじいちゃんに監督の要請が来ること自体プロ野球に後継者が育っていないことを意味している

成績が悪ければ進退伺を提出するのが通例。来季は自分の野球生命を賭ける

負けるときは負けるべくして負ける。巻き返しに向けて頑張れ

負ければ反省するが、勝つと反省しない。そこに落とし穴があった

上に立てば必ず足を引っ張られることを忘れず、気を引き締めて捲土重来、頑張ってください

球界では親子2代で名選手の例がない。どうして政界と違うのかねぇ

愛がなければ人は育たない

盗塁は足でするものではなく、頭でするもの

自分をこれまで支えてきたのは、王や長嶋がいてくれたからだと思う。彼らは常に、人の目の前で華々しい野球をやり、こっちは人の目のふれない場所で寂しくやってきた。悔しい思いもしたが、花の中にだってヒマワリもあれば、人目につかない所でひっそりと咲く月見草もある

新人のころ、私が夜、合宿所の庭で素振りをしていると、盛り場に繰り出す先輩たちが、「おい、野村。この世界は才能だ。バット振って一流になれるなら、みんななってるさ」とからかうんですよ。でも、私はそうは思わなかった。才能がすべてならこっちはとっくにお払い箱ですから、努力を信じてやるしかなかったわけです。

一瞬のやる気なら誰でも持てる。けれども、持続性のあるやる気は、深く認識したものだけに宿るのである。

財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする

見つける、育てる、活かす、じゃないの。9つのポジションでいろいろな条件があるから、その条件に合うか合わないか見つけるのも監督の仕事

チャレンジ精神がなくなったら人生終わりですよ。『新庄、二人三脚でなんとか成功させような』という思いがあるわけですから

人間のいいところは、どんな可能性があるのか、その可能性を引き出す、見つけることが人生そのもの。(選手が)持って生まれたものだから、それを発揮したらいい。そういうのを見抜いてやるのも監督の手腕のひとつ

手取り足取り何もかも答えを出すのは、果たしていいのだろうか。やっぱり自分で考える、自分で答えを見つける。やっぱり耐える、我慢、こういうのができると更に一段と育つ。楽をして、いい結果は得られません

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