西暦2000年代の偉人

【吉本 隆明】の名言集|名言まとめドットコム

法あるいは宗教あるいは儀礼あるいは風習、習慣というものを、本来的な所有よりも、もっと強固な意味で、自らのものであるかの如く振舞う構造のなかに、本当の意味での、日本の大衆の総敗北の構造がある。

日本人という人種にとって一つ抜け道があるとすれば、血縁の結合感を少し緩くしたほうがいいということですね。

日本人の中からサドとかバタイユのような、そういう作家を求めようとしても難しい。みんな何かにすり替わっている。

僕は日本人にはエロスが薄いんじゃないかと思ってます。民族性か種族性か、どう呼んでもいいんですけど、この種族がエロス的にどうなのかと言えば、全体として物凄く関心が薄いんじゃないかと思います。

日本のいわゆる知識人たちは、奈良朝以降のことでもってしか、「日本国」や「日本人」のことを考えないんです。それは、当然「おかしい」ということになるわけです。

国家は幻想である。風俗や宗教や法もまた共同の幻想である。

ひとは、いつも論理自体によってうごかされることはない。ただ未知の領域にあくなき論理によって肉迫しようとする思想にうごかされるのだ。

人は他者によって作られたじぶんに責任を負わなければならない。

激動のときにじぶんがこう考えているとできるかぎり率直に公開しよう。それは自分の身ひとつで、吹きっさらしのなかに立つような孤独な感じだが、誤謬も何もおそれずに公言しよう。

情況とは何かを知るために、わたしたちは言葉を必要としていない。きみが情況であり、わたしが情況であり、しかもわたしたちはことごとく追いまくられているわけだ。

ぼくはきみたちの標本箱のなかで死ぬわけにはいかない。

結婚して子供を生み、そして子供に背かれ、老いてくたばって死ぬ、そういう生活者をもしも想定できるならば、そういう生活の仕方をして生涯を終える者が、いちばん価値ある存在なんだ。

ぼくはでてゆく、冬の圧力の真むこうへ ひとりっきりで耐えられないから たくさんのひとと手をつなぐというのは嘘だから。

読者に誤読を与えたら、まず外国文学者の翻訳の拙さを省みるべきだ。難しい手仕事を怠る中での、キザな語学自慢は問題だ。

現に、EUはすでに通貨を統一するなどして、国民国家の枠を超えようとしたじゃないですか。

国民国家というのは歴史的産物であり、決して普遍的なものじゃないですよ。

日本がアジア諸国の独立を促したというけれど、占領地の民衆に対してどんなふるまいをしたのか、それはひでえことをしたってことを、ちゃんと裏にくっつけておかないとダメなんです。

自分たちは汚いことはしないよ、と言うのか、自分たちのポッポに入れちゃっておいて、でも何かもう少し違うことを考えてるよとか、そういう違いはあるかもしれないけど、でも、そのくらいの違いなんです。

自民党と民主党も、反対なもののはずなんだけど、今は同じなんですよ。利害関係が同じになってる。同じことを小さく言うか大きく言うか、または、同じことをカッコよく言ってるかどうか、そこだけの問題になっています。

小林よしのりは国家というものを東洋的に誤解している。

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