辛い現実はあるものの、私は、今でも人間の心は本質的に善であると信じている。
私達は皆、幸せになることを目的に生きています。
道化もたくさん演じてきましたが、ほとんど演じていることを意識したことはありませんし、寂しい思いはしても、絶望したことは一度もありません。
今後わたしは、あらためておとうさんをお手本にすることにします。そして断固として自分を磨いてゆくつもりです。
私がなぜ日記をつけはじめるかという理由についてですけど、それはつまり、そういうほんとうのお友達がわたしにはいないからなんです。
ここでキティーに約束しましょう。どんなことがあっても、前向きに生きてみせると。涙をのんで、困難のなかに道を見いだしてみせると。
ここではみんな、すっかり笑うことを忘れてしまいました。おかげで、ちゃんとした笑いかたさえ、もうできなくなっている始末です。
親愛なるキティーへ日曜の朝からいままでに、何年もたってしまったような気がします。いろんなことが起こって、まるで世界じゅうがひっくりかえったみたい。
もっとも、うちの両親はたいがいの親とちがって、成績が良くても悪くても、あまり気にしません。わたしが健康で、幸福で、それであまり生意気でさえなければ、それで結構、あとはどうにかなるという主義です。でも、わたし自身はその逆です。劣等生になりたくはありません。
日焼けしようにも、あまり方法はありません。プールに入れないからです。残念ですけど、どうしようもありません。
おばあちゃんのことは、いまでもこの胸に焼き付いています。私が今でもどれだけおばあちゃんを愛しているか、きっと誰も想像がつかないと思います。
お母さんが私の気持ちを分かっていないのは事実ですが、私もお母さんの気持ちを分かっていないのですから。
私にはまだ学ばなくちゃいけないことがたくさんある。
本当の親友になりかけています。もう私のことを子供扱いして、相手にしてくれないなんて事もありません。
毎日ただ家事をこなすだけで、やがて忘れられてゆくような生涯を送るなんて、私には考えられないことです。私は世間の大多数の人たちのように、ただ無目的に、惰性で生きたくはありません。
書いていさえすれば、なにもかも忘れることができます。悲しみは消え、新たな勇気が湧いてきます。とはいえ、そしてこれが大きな問題なんですが、はたしてこのわたしに、なにかりっぱなものが書けるでしょうか。
周囲のみんなの役に立つ、あるいはみんなに喜びを与える存在でありたいのです。わたしの望みは、死んでからもなお生き続けること。
わたしはまた勇気を奮い起こして、新たな努力を始めるのです。きっと成功すると思います。だって、こんなにも書きたい気持ちが強いんですから。
誰もがたった今この瞬間にこの世界をよくするために貢献することができるというのは、なんて素晴らしいことでしょう。
この日光、この雲のない青空があり、生きてこれをながめている間、わたしは不幸ではない、と心の中で思いました。