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【坂本 龍一】の名言集|名言まとめドットコム

引用元: Amplifier

今回は有名な「坂本 龍一」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている有名人「坂本 龍一」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

坂本 龍一とは

1952年1月17日に東京都中野区で生まれる。ミュージシャン、作曲家、編曲家、作詞家、音楽プロデューサー、音楽評論家、指揮者、タレント、俳優、政治活動家である。
1970年東京芸術大学入学する。
1975年、大学院在学中に新宿ゴールデン街で意気投合したという友部正人の『誰もぼくの絵を描けないだろう』にピアノで参加する。スタジオ・ミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせる。
1979年12月、アレンジを手掛けたサーカスのシングル「アメリカンフィーリング」で、日本レコード大賞編曲賞を受賞する。
1990年4月からは、音楽の拠点をニューヨークに移す。
2012年11月23日、アジア太平洋映画賞国際映画製作者連盟賞を受賞する。
2021年1月21日、2020年に直腸がんが見つかり手術を受けたことを公式サイトで発表する。

参考:Wikipedia

坂本 龍一の名言集

曲を作ろうと意気込んだところで、だいたい良い曲は出てこないんです

いい音と出会えるのは一瞬

リハーサルや予行演習が嫌いだし、人にも、しないことを進めています

アナログシンセは、やっぱり耳に心地いいし、パワーもあるし

ミニマル・ミュージック以降は、技法の変化も止まってしまった。

続く60年間は、音楽をどこまで壊せるかという試みに作曲家たちが挑戦した時代でした

騒々しい作品は一つも書いていないのに、とても革命的な作曲家でした

意識的にスピーカーから遠くに立って、音楽に集中しないで聴くように努力します

なんかそういうサウンドがあればいいっていう感じだったんだけど…

大学院に入って卒業するまで延べ1週間ぐらいしか学校なんて行ってないんだから

勉強なんて考えたこともなかった

音楽ビジネスは本来、もっとオープンに多くの人と共有する方が価値が出る

YMOブームが過熱して、教授は疲弊、屈折し、どんどん痩せる。

新しい聞き手とつながるためのもう一つのチャンネルと考えたい

とても反語的なんだけど、アートはお金のあるところでしか発展しない。

ドビュッシーだって青写真的なものはあるけどかなりプライオリティは低い。

僕のエコ意識はあくまでも『エゴイストのエコ』なんですよ。

僕はそこまで力を持っていいのかというのも1つの疑問なんです

今の世の中はダウンロードで音楽を楽しむ層が増えて、CDの存在価値がなくなってきつつある。

死をいかに乗り越えるかということでもある

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