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【ルー大柴】の名言・名セリフ集

今回は有名な「ルー大柴」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている有名人「ルー大柴」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

ルー大柴とは

ルー 大柴(ルー おおしば、1954年1月14日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優、茶人。本名、大柴 亨(おおしば とおる)。茶人名としては大柴宗徹。山野美容芸術短期大学客員教授。遠州流茶道師範。浅井企画(2008年1月末まで)→株式会社Carino所属。
東京都新宿区富久町出身。立教高等学校(現・立教新座高等学校)卒業。

タレントとしてはキャラクター作りとして「Togetherしようぜ!」「この間department storeで」「Januaryで50歳になるんだよ!」など、会話の中に簡単な英単語を入れるのが特徴(しかも我流当て嵌めで文法にも適っておらず正しくない)。その発端は、高校生時代に帰国子女の同学年生と交際していて、どうしても言葉の端々で英単語が出てしまうから、と述べている。また、実父が満州生まれで日本語は無論露・中・英の3カ国語をも自由に話せるマルチリンガルであったという、幼少時の体験も少なからず影響していた。

参考:Wikipedia

ルー大柴の名言集

不思議なもので夢を追いかけるのをやめると、今度は夢が追いかけてきました。

人生はラビットとタートル。

つまりウサギとカメ。

最終的にゴールするのはカメです。

ピョンピョン飛び跳ねると必ず息切れします。

物おじせずイエス・ノーをはっきり言う。

すると相手の見る目が変わる。

言葉が下手でも、意思を示せる人間は尊重されることを知りました。

サーティー・イヤーズ・オールドは、一番つらかった時期だね。

人生のどん底といってもいい。

同級生は学校を出て就職して安定した生活を送っているのに、俺は売れない役者。芸能界どころか、当時はバイトで食いつなぎながら、アングラ演劇をやっていた。

十代のころには海のように広がっていた夢も、いつしかしぼんじゃって。

31歳のとき、長男が生まれ、お袋に「諦めろ」って言われたこともあって、ついに夢破れた、と腹をくくった。

すると、不思議なもので諦めた途端、運が巡ってきてブレイクした。

ありがたいことに人間は、年齢には関係なく、どんな時でもマイドリームに向かって進むことができます。

夢を追いかけるということは、ライフをギブアップしないことです。

だから夢を持って生きれば、常に若いということにつながります。

マイドリームをギブアップしなければフォーエバーヤング。

楽屋では若い人の会話や交流には、積極的に参加し、コミュニケーションをはかっています。

本番前には「何かきっかけがあったら、突っ込んで来いよ。俺は全然大丈夫だからな」と言ってあげます。

すると彼らは本気で突っ込んできます。

僕も負けずに返していくと、自然に若い力が蘇ってきて心がときめいてくるんです。

若い人たちとの積極的なコミュニケーションをぜひお勧めしたい。

外国の人は年をとっても、結構派手な洋服を上手く着こなして、それが実にカッコいいじゃないですか。

あの心意気ですよ。

「これはインポッシブル」とか「トゥーマッチじゃないか」とか、臆病にならずに、まずはトライすることです。

それを続けていけば、いずれは慣れて着こなしていけるようになるんです。

僕は、若い人たちとトゥギャザーしていこうと、常に心がけているんです。

そうはいっても僕ももう53歳。

いまのお笑い芸人の人たちは、若い方が多いので、僕に対して構えてしまうことが多々あるんです。

ですから、楽屋では若い人の会話や交流には、積極的に参加し、コミュニケーションをはかっています。

普段話している言葉をピンポイントで英語に変えていくのは楽しいですね。

塵も積もればマウンテンで、オールウェイズ使えばいざというときにパッと出てくる。

机にかじりついて単語を覚えるのが辛い、という方にはとてもお勧めです。

現実は甘くはないけれど、自分をビリーブする限り、夢は不滅!

あうんのブレス

合わせるフェイスがない

一寸先はダーク

井の中のフロッグ オーシャンを知らず

エクスペリエンスをしながらグローイングアップしていくのが、僕のフィロソフィーだから

オーライ、ステージは私達がウォームしといたから

親のセブンライト

清水のステージから、ダイブする

コーディネートの幅がまたリトルビット広がりました

スリーデイズ坊主

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