西暦1900年代の偉人

【杉原千畝】の名言集|名言まとめドットコム

引用元:ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

今回は有名な「杉原千畝」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「杉原千畝」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

杉原千畝とは

杉原 千畝(すぎはら ちうね、1900年〈明治33年〉1月1日 - 1986年〈昭和61年〉7月31日)は、日本の外交官。早稲田大学高等師範部英語科(現・教育学部英語英文学科)本科中退。

第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ドイツの迫害によりポーランドなど欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して大量のビザ(通過査証)を発給し、避難民を救ったことで知られる[2]。その避難民の多くがユダヤ人系であった]。「東洋のシンドラー」などとも呼ばれる。

彼が残した「大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです。」という言葉は、有名である。

参考:Wikipedia

杉原千畝の名言集

許して下さい。私には、もう書けない。みなさんのご無事を祈っています。

人間としての資質をもち、この手でユダヤ人を救おう!

外務省に背いて領事の権限を使って、この人たちにビザを発行しようと思う

ユダヤ民族から永遠に恨みを買ってまで、旅行書類の不備だとか、公安上の支障云々を口実にビザを拒否しても構わないというのか?

それが果たして国益に叶うことだというのか?苦慮の挙句、私はついに人道主義、博愛主義第一という結論を得ました

ビザを発行しようと思うんだけど、どう考える?ビザを発行すると、我々もドイツに捕まってしまうかもしれない。

ユダヤ人を逃がそうとしてるんだから、私達もただではすまない。どう思う?

人道的な観点から、ビザの発給を拒否する事はできない。領事(自分)の判断で発行してもいいだろうか?

日本人は中国人に対してひどい扱いをしている。同じ人間だと思ってない

私たちと同じ立場の人が仮に百人いたとしても、このユダヤ人たちを助けようとしないかもしれない。でも僕たちはやろうか

私に頼ってくる人々を見捨てるわけにはいかない。でなければ私は神に背く

果たして、浅慮、無責任、我無者らの職業軍人グループの、対ナチス協調に迎合することによって、全世界に隠然たる勢力を擁する、

ユダヤ民族から永遠の恨みを買ってまで、旅行書類の不備、公安配慮云々を盾にとって、

ビザを拒否してもかまわないが、それが果たして、国益に叶うことだというのか。

苦慮、煩悶の揚句、私はついに、人道、博愛精神第一という結論を得た。

仮に当事者が私でなく、他の誰かであったとすれば、恐らく百人が百人、東京の回訓通り、ビザ拒否の道を選んだだろう。

何よりも、文官服務規程方、何条かの違反に対する昇進停止、乃至、馘首が恐ろしいからである。

私も、何をかくそう、回訓を受けた日、一晩中考えた

大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです

私のしたことは外交官としては、間違ったことだったかもしれない。

しかし 私には頼ってきた何千人もの人を見殺しにすることはできなかった

世界は大きな車輪のようなものですからね。

対立したり、あらそったりせずに、みんなで手をつなぎあって、まわっていかなければなりません…。では、お元気で、幸運をいのります

そして私は、何も恐るることなく、職を賭して忠実にこれを実行し了えたと、今も確信している

人間にとっていちばん大切なのは、愛と人道だ

次のページへ >

スポンサーリンク

-西暦1900年代の偉人

© 2024 名言まとめドットコム