フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー 偉人

【フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー】の名言集|名言まとめドットコム

今回は有名な「フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている偉人「フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?

フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーとは

フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー(ロシア語: Фёдор Миха́йлович Достое́вский; IPA: [ˈfʲɵdər mʲɪˈxajləvʲɪtɕ dəstɐˈjɛfskʲɪj]、1821年11月11日〔ユリウス暦10月30日〕 - 1881年2月9日〔ユリウス暦1月28日〕)は、ロシアの小説家・思想家である。代表作は『罪と罰』、『白痴』、『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』など。レフ・トルストイ、イワン・ツルゲーネフと並び、19世紀後半のロシア小説を代表する文豪である。

その著作は、当時広まっていた理性万能主義(社会主義)思想に影響を受けた知識階級(インテリ)の暴力的な革命を否定し、キリスト教、ことに正教に基づく魂の救済を訴えているとされる。実存主義の先駆者と評されることもある。反ユダヤ主義者としても知られる。

参考:Wikipedia

フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーの名言集

希望を持たずに生きることは、死ぬことに等しい。

他人に尊敬されたいのなら、自分自信を敬うがいい。自分自身に敬意を払うことによってのみ、他人はあなたを敬うようになるだろう。

「人類に対する愛」という言葉は、自分が心の中でつくりあげた人類に対する、つまり己に対する愛である。

人間のできる唯一のことは、自分自身が精神的に成長することです。

人間という奴はいつでも、人に騙されるよりは自分で自分に嘘をつきたがるものなのだ。そして、無論、人の嘘より自分の嘘の方を余計に信じるのだ。

あの言葉はもちろん、思わず口からこぼれたのだが、思わず言っただけによけい重大なのだ。

一番簡単で、いちばん明白な思想こそが、いちばん理解し難い思想である。

利口な女と嫉妬深い女とは、おのおの異なった、まったく別個なものである。したがって、どんなに利口な女でも、同時に嫉妬深い女になることができる。

金が何よりも卑しく、しかも厭わしいのは、それが人間に才能まで与えるからである。

人間、人間は哀れみなしには生きていけない。

左翼は主として無神論の問題である。無神論に現代的な肉付けをした問題である。地上から天に達するためではなく、天を地上へ引き下ろすために、神なくしてたてられたバビロンの塔だ。

愛情に満ちあふれた心には、悲しみもまた多いものである。

しだいに高くそびえてゆく建物を見る喜びは、たとえ今までのところ、その建物にわずか一粒の砂を運んだにすぎない人でも、必ずや心の渇きをいやしてくれるはずである。

「私にはその行為に責任があるのだろうか?ないのだろうか?」という疑問が心に浮かんだら、あなたに責任があるのです。

幼年時代の思い出から得た神聖な貴重なものなしには、人間は生きてゆくこともできない。

人間の後半生は、通常、前半生で蓄積された習慣のみで成り立つ。

人は笑い方でわかる。知らない人に初めて会って、その笑顔が気持ちよかったら、それはいい人間と思ってさしつかえない。

娘が自分で惚れた男というのは、父親の目にはいつだって一番つまらない男に見えるものだ。

苦しむこともまた才能の一つである。

苦しみと悩みは、偉大な自覚と深い心情の持ち主にとって、常に必然的なものである。

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